新緑の南東北旅④小国街道
 2022.5.3.~.5.5. 


小国街道(国号113号)
山形県~新潟県
町を覆うような豊かな森林と散居集落の佇まいに魅せられる
磐梯朝日国立公園に属する、朝日連峰、飯豊連峰という雄大な山並みに包まれたエリア。
ブナの森をはじめ、町全体を覆い尽くすような落葉広葉樹林があり、
夏は雨が多く、冬には全国有数の豪雪地帯となります。

米沢と坂町(新潟県村上市)を結ぶ米坂線の鉄道と、それに並行する小国街道(越後街道)に沿って
小国温泉や紅葉の名所・赤芝峡があります。

(まっぷるより)



3日目はホテルをチェックアウトして新潟方面へドライブしました
帰りの新幹線は赤湯駅17:12発なので
のんびりできそうです












小国街道は飯豊連峰と朝日連峰に挟まれた豪雪地帯を抜ける国道で
芽吹きと残雪、そして新緑が折り重なる風光明媚な道でしたキラキラ













道路わきに車を止めてまぼろしの滝や…














米坂線の鉄橋
(電車が通るのを待ってません)













ダム湖の脇に佇む神社














そして道の駅白い森おぐにで一休みです
山間にポツンとある道の駅ですが
施設は充実していてたくさんの観光客でにぎわっていました
この道の駅を過ぎると約5㎞で新潟県に入ります


新潟県関川村
村の中央を流れる清流・荒川沿いには、高瀬・鷹ノ巣・雲母・湯沢・桂の関の5つの温泉が湧き、
えちごせきかわ温泉郷を形成しています。
また、村の中心部には、18世紀のまち並みを今に残す米沢街道があり、
国の重要文化財渡辺邸や佐藤邸、県指定文化財津野邸、そして東桂苑があります。
(関川村HPより)



かつて米沢街道の宿場町だった関川村
村の至るところに当時のおもかげが残っています













以前「にいがた庭園街道」をめぐる旅の途中に立ち寄った渡邊邸
もう一度ゆっくり来てみたかった場所です


今回の旅の最後はこの地で1日楽しみました音譜


国指定重要文化財 渡邊邸
新潟県関川村
渡邉家の初代儀右エ門善高は、村上藩の郡奉行をしていたが、藩主国替えのとき、家督を譲り桂村に隠居、
その後寛文7(1667)年に現在の場所に転居して以来の旧家です。
三千坪の広大な敷地に堀と塀をめぐらし、五百坪の母屋には、厳選された無節の柱や丸桁などが惜しみなく随所に使われています。

往時には十二あったとされる蔵のうち、残っている六つの蔵もまた豪農を思わせる作りとなっています。



【上杉家と渡邉家】
渡邉家三代善久は、享保十一年(1726)財政難に苦しんでいた米沢藩に融資、その後幕末までに総額十万両以上を用立てました。

その功により五代英良以降、同藩の勘定奉行格の待遇を受けました。
その後、七代善映のときには、寛政十年(1798)に四百五十石の知行が与えられました。
(にいがた観光ナビより)








 

佐藤家と津野家
個人のご自宅なので訪問はできませんがこちらも豪農の邸宅です
荒川の河口には、荒川三湊(あらかわさんそう)と呼ばれる海老江(天領/年貢米の搬出)、
塩谷湊、桃崎浜湊が設けられ、越後・村上藩、出羽・米沢藩の藩米の搬出、
西国などから北前舟で運ばれた品々が陸揚げされていました。
米沢藩などへの内陸への輸送としては、荒川舟運で下関宿まで運ばれ、

下関宿から陸路で米沢城下を目指したのです。
そのため、下関宿は物流の拠点として繁栄し、豪商の家として津野邸、渡邉邸、佐藤邸、

東桂苑(渡邉家の分家だった家、関川村の管理)が残されています。
(ニッポン旅マガジンより)




 

1階茶の間と台所                                                                     土間





庭園は回遊式となっており、元禄末期から享保初期にかけて京都から遠州流の庭師を招いて構築されたもので、
昭和三十八年に国の名勝に指定されています

日本庭園は池や水を結界として向こうには彼岸(悟りの世界・極楽浄土)とされており
神仏に見立てた石組みが施している庭園が多く
渡邊家庭園では不動石を立てて不動明王の化身としています




白梅・雪見灯篭と花菖蒲・モミジ(左上)
雄滝(枯滝)(左中)
石橋と橋添石は天龍寺の龍門瀑から模したもの(左下)
赤松を鶴、築山を亀に見立てて(右上)
招待した客人の健康・長寿を願い
もてなす心を表現したのだそうです
その脇には雌滝(枯滝)
不動石(右下)







母屋2階から見た渡邊家庭園です










土間から裏庭に出てみると…








土蔵が6棟の残っていますが
米蔵や金蔵、酒蔵に味噌蔵など…かつて12棟の蔵が
立ち並んでいた面影があります
今はたくさんの花木が植えられていました

 

ちょっとため息が出るようなのお話ですが
この村がとても豊かだったということが思い起こされます
でも…水害もあったことも忘れてはいけない歴史です

最後は東桂苑で一休み…しようかな?



東桂苑
(新潟県関川村)

江戸時代後期、渡邉家8代目・渡邉善保の四男・渡邉善俊が本家の東隣に邸宅(渡辺家御新宅)を構えたもので、
建物自体は明治期に建てられた近代和風住宅建築(渡辺家御新宅庭園は関川村の文化財に指定)。
幕末の本家(渡邉善保の時代)は、米沢藩へ雲伯両国の鉄2万6000貫を周施、長岡藩へ2300両を用立、

品川台場築造費として1550両を幕府に上納など、豊かな財力があった時代です。
東桂苑(渡辺家御新宅)も分家とはいえ1600坪と広大な敷地を有し、

母屋の北側に池泉回遊式庭園が配されています。
(ニッポン旅マガジンより)



渡邊邸から歩いて2~3分の場所に東桂苑はあります














令和3年6月公開の映画『峠 最後のサムライ』
(原作・司馬遼太郎、監督・小泉堯史、主演・役所広司)のロケ地にもなっています













こちらの庭園はこじんまりとした庭園です














昭和57年に関川村が管理することになり
村民から愛称を募集して「東桂苑」と名付けられました
客間ではランチやカフェも営業されていて
予約をすればコースもいただけるようです











私は予約をしていなかったので
関川産コシヒカリを使ったおにぎりセット
豚汁の具がいっぱい入っていてとても美味しかったです割り箸







そして道の駅関川や周りを散策した後
越後姫のロールケーキとアイスコーヒー
練乳入りのホイップクリームと関川産の濃厚卵を使用した
クリーミーなケーキをいただきましたロールケーキ



楽しかった山形、福島、新潟の旅も終わりです
そろそろ赤湯駅にレンタカーを返す時間…
走行距離465㎞ガソリン代は満タン返却ではなく距離換算だったので
リアルな距離が解かってしまいました笑



新幹線後ろ新幹線真ん中新幹線真ん中新幹線真ん中新幹線真ん中新幹線前


山形新幹線で帰路の途中
宇都宮の手前で急に停電、新幹線が止まりました
その後車内アナウンスで茨城県南部を震源とする地震で震度4だったことが解かりました
ほんの6分程の停電でしたがこのまま止まったら…色々な情況が頭をよぎりました
動き始めても信号機の関係でまた止まったり、徐行運転になったり…
終点の東京駅には20分以上遅れとなり
乗り換えの東海道新幹線の座席指定には乗り遅れました
再度座席指定を取り直しましたがやはりゴールデンウィークの最中
取れたのは遅い時間になってしまいました泣

東京駅で買った駅弁も選べるほど数がありませんでしたが
何とか富士山弁當が買えました↓






黒米飯・赤魚粕漬焼・肉焼売・玉子焼・がんもどき煮・穴子天ぷらたれ漬・調味梅干・アサリ煮付・
牛蒡甘辛煮・椎茸煮・タコ煮・錦糸玉子・釜揚げしらす・いくら醤油漬・枝豆煮・蕗煮・蓮根酢漬

駅弁をいただきながら旅の思い出に浸る時間
色々なことがありましたがそれも含めて旅は楽しい思い出です
ツアーだったら旅行会社が何とかしてくれることも
全部ひとりで解決しなきゃいけませんが…
まわりの人の意見に左右されなくても済むという利点もありますグッ




長らくお付き合いいただきまして
ありがとうございました☆