山麓から山頂へ約4分。山頂からは四季折々の琵琶湖、西の湖、旧城下町などが見渡せる大パノラマが広がります。
八幡山(標高283,8m)は、豊臣秀次が築いた八幡城の城跡で本丸跡には村雲瑞龍寺が京都から移築されています。
豊臣秀吉の姉で、秀次の母である瑞龍院日秀尼公が、一度は関白となりながら秀吉の側室淀殿に子供(後の秀頼)が誕生したために、
秀吉の後継者を巡り自害させられた秀次の菩提を弔うため建立した寺院です。
(全国観るなびより)
八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡山城居城のもと、城下町が栄える原因となった町の一大動脈です。
近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たし、
江戸時代後期には近江国において大津と並ぶ賑わいを見せたといいます。
昭和初期までは、常に町の人々の経済・流通路でしたが、戦後は陸上交通の発展によって廃れました。
堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並び、華やかだった当時の様子をよく伝えています。
(滋賀・びわ湖観光情報より)
JR近江八幡駅の北西約2.3km、八幡山(271.9m)の南麓にある神社。
誉田別尊(ほんたわけのみこと)・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・比売神(ひめかみ)の
三神を祭神とする旧八幡町の総社で、平安時代の創建と言われ、九州の宇佐八幡宮の神霊を勧進したと伝わります。
約4万4000平方メートルという広大な神域はエノキやムクの樹が生い茂り、
その下を通り抜けて楼門をくぐると、拝殿・神殿が続きます。
寺宝には、江戸時代に海外貿易に活躍した商人西村太郎右衛門が寄進したという「安南渡海船額(あんなんとかいせんがく)」をはじめ、
祭神である三神の木像などがあり、いずれも国指定の重要文化財になっています。